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第4回 JB-POWER ミーティング ご参加のお礼

恒例となりました、JB-POWERミーティング第4回を5月11日(日)豊岡市のコウノトリ但馬空港にて実施させて頂きました。

今年は終日快晴の中、全国各地から約300人以上の多くのライダーにご来場頂き、盛況にミーティングを開催することが出来ました。

ご来場頂いた方、出展頂いた方、取材に来て頂いた方、準備を手伝って頂いた方、本当にありがとうございました。皆様のおかげで大きなトラブルもなく、無事にミーティングを終えることが出来ました。社員一同、心より御礼申し上げます。

試乗会も盛況で、短いコースではございましたが、JB-POWERコンプリートマシンの魅力を体感して頂けたのではないかと思います。

主催者としてはまだまだ未熟な部分もあり、ご満足頂けなかった方もおられたかと思います。今後、皆様に更に満足して頂けるようなミーティングを目指してまいりますので、次回も、是非ご参加頂きますよう宜しくお願い致します。

2014年5月11日(日)
天候:晴れ
来場者数:350人
受付人数:246人
試乗人数:88人
JB-POWER MEETING 2014

今回JB-POWERミーティングにご参加頂いた方のご意見ご感想をお聞かせください。(一言だけでも結構です。)
今後の開催に活かせればと思いますので、どうぞ宜しくお願いします。
リンクより題名を変更せずメールにてお送りください。

JB-POWERシリンダーライナー入荷

JB-POWERシリンダーライナーが入荷しました。

あらゆるピストンに対応する最高級のシリンダーライナーです。

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品名 外径 品番 価格(税別)
JB-POWERシリンダーライナー (φ69-φ73) φ77.07 130-99-014 8,500円
JB-POWERシリンダーライナー (φ73-φ76) φ80.60 130-99-015 8,500円
JB-POWERシリンダーライナー (φ77-φ80) φ84.00 130-99-016 9,500円

2013年を迎えるにあたり

真っ赤なイロハモミジや灯台躑躅の紅葉の秋はあっという間に終わり、今は白銀の雪景色に包まれている。
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今年も庭の木々達は、大いに私を楽しませてくれた。
そしてまた、この雪の下でじっと春を待つ生活が始まる。
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山陰地方の年末から3月までの3ヶ月間は、本当に長く感じる。
毎日、雪かきに追われ、仕事のペースもぐんと落ちる。
とはいえ、この閉ざされた世界に全く楽しみが無いという訳でも無い。

週末には、薪ストーブを焚いてのんびりと庭の木々を眺めながら、春になったら何の木を移植しようか、どんな山野草を咲かせようかなど、庭作りに夢を馳せる。
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時には、近くの城崎温泉や但東町のシルク温泉に行ったり、美味しい松葉ガニや白菜の鍋を楽しんだり、特上の地酒である竹泉や香住鶴に舌鼓を打つ。

もちろんバイクの事も忘れた訳では無いが、乗りたくても雪の中では何とも出来ずにストレスが溜まるので、次に開発したいパーツの設計やら、試作を考える。

他にも、春までにしなければいけない仕事がたくさんある。レーシングチームからオーダーのあったホイールやスイングアーム、ブレーキやフォークブリッジ等の削り出しパーツの製作を始め、秋にお預かりしたコンプリートマシンやエンジンの製作などだ。

春までにという約束なので、頑張らないとあっという間に期限が来てしまう。こんな風に考えてみれば、一年中忙しく仕事に追われる生活を何十年も続けてきた事になる。

来年は、いよいよ節目の創業30周年を迎える。
光陰矢のごとしである。思い返せばいろいろあったが、あっという間に30年も経ってしまったとは、何とも感無量である。この間には失敗や苦労もあったが、楽しかった事や上手くいった事もたくさんあって、今日のBITO R&D がある。

創業当時からのお客様も大勢おられ、今でも変わらずお付き合いいただいている。
そんな日頃のご愛顧にお応えすべく、いろいろ企画させていただきますので、楽しみに
お待ち下さい。

追伸:
恒例のJBカレンダーですが、今年は制作出来ませんでした。大変申し訳ございません。
一年間の充電期間を経て、2014年版の素晴らしいカレンダーをまた来年お披露目する事ができればと、祈りつつ、、、
それでは皆様、よいお年をお迎えください。

2012年へ

庭の紅葉も散り、西風が北風に変わり、寒い冬がやって来る頃、薪作りは私の毎年恒例の仕事だ。
山のように積まれたクヌギや、桜、タモ、栗、等の雑木を一本づつ斧で割ってゆく。
一日に全部は出来ないので、少しづつ割ってゆく。

結構体力がいる仕事ではあるが、「パーン」という音と共に一振りで薪が割れる瞬間は、何とも爽快だ。
たまには、中学生の息子も手伝ってくれる。

やがて、薪作りを終える頃、白い雪が降り始める。
私達は家族みんなで、一年前に割った薪をストーブに燃やしながら、長い冬を暖かく過ご事となる。

年の瀬の今頃になって、やっと 来年のカレンダー「JB‐POWER SPECIAL CALENDAR 2012」が完成しようとしている。
毎年、「今年でもう最後にしよう」と思いつつ、今年もまた作ってしまった。
全国のお客様からから「今年のカレンダーはまだですか?」と聞かれると、ついつい断りきれないのである。

コンプリートバイクのラインナップは、

1月 KAWASAKI ZEPHYR1100
2月 KAWASAKI ZEPHYR750
3月 HONDA CBX1000
4月 KAWASAKI W650
5月 KAWASAKI Z900 Super Four(Z1)
6月 KAWASAKI ZRX1100
7月 BMW S1000RR
8月 KAWASAKI Z1300
9月 HONDA CB1300SF
10月 SUZUKI GSX1100S(刀)
11月 YAMAHA SRX600
12月 KAWASAKI Z1000MK2

今年も、JBコンプリート車両全車種を掲載することができなかったが、どれも思いのこもった素晴らしいマシン達を、ぜひご覧いただきたい。

やがてあたりは雪に覆われ、一面の銀世界となる。
皆様のバイクにも、しばしの休息を与え、1年の労をねぎらっていただきたい。

今年も様々な困難が押し寄せ、とても大変な年ではあったが、来たる2012年が良い年であることを祈りつつ、ブログを終えます。

来年も「JBミーティング」 「新製品開発」などBITO R&D精神で、バイクとパーツを通して幸せを皆様へ提供してまいりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
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鈴鹿8時間耐久レース 2011

今年も暑い熱い、8耐が終わった。
リーマンショック、東日本大震災、そして記録的な円高。
世界に、そして日本に降りかかる数々の試練。
原子力発電所事故の影響で、次々と運転停止して再稼動できない原発が増えていき、
電力が足りない国になってしまった状況下、節電協力という理由で開始を2時間早めてスタートを切った。

この8耐にも、カワサキ、スズキを中心に多くのユーザーの方々に「JBマグタン」を使っていただいている。ホンダ、ヤマハ、BMW、アプリリア、ドカティと合計7メーカーと多くのチームに、「JBマグタン」が支持されている事実は、限りない喜びと共に責任を感じる。

レースはポールポジションを獲得したヨシムラスズキチームのリードで始まった。

もちろんJBマグタンユーザーで、JB4 F3.50 R6.25‐16.5を使用。

中盤はF.C.C. TSRホンダと武蔵ハルクホンダの3車が入れ替わり、三つ巴のトップ争いを展開したが、後盤には、ヨシムラスズキとTSRホンダの戦いになり、3名のトップライダーを集めたF.C.C. TSRホンダが優勝し、ヨシムラスズキが2位、武蔵ハルクホンダが3位入賞を果たした。

因みに私は、今回の8耐の応援を頼まれた、チームトラスBMWS1000RRと言う
長い名前のチームのピットで応援させていただいた。ディーラーのメカニックや応援隊などに
よって構成された、にわか作りのプライベートチームにもかかわらず、これが大したチームで、
なんと15位に入賞してしまった。しかも色々トラブルもあったが、エンジンもマップもSTDの
ままでと言うから正に脅威である。
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隣のピットのフランスBMW耐久チームは4位入賞となった。もちろん過去にBMWが鈴鹿8耐で
こんな好成績を残した事は無く、これもまた快挙であった。

1982年を最後に、自身でのレース活動を封印して、モノ創りに専念し今日までやってきた。
ところが、この度は、なし崩し的にレースに引き込まれた格好ではあるが、参戦してみるとやっぱり面白い。

眠っていた闘争心にまた火がついた。
それなりの工作機類もそろった。モノ造りが出来る人材も育って来た。
後は軍資金とレースを運営するスタッフを集めれば…ウーン、何とかなるかも知れないなどと考え始めた。

日本車の独断場であった、ツインカム4バルブ並列4気筒チェーン駆動と、
同じコンセプトのエンジンで殴りこみをかけてきたドイツの老舗メーカーの造る
S1000RRの真価を見極めてみたくなった。
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鈴鹿8時間耐久レース 2011 オフィシャルサイト

多忙の中の「癒し」と「楽しみ」

ブログ更新がご無沙汰してしまった。

3月11日以来、次々と起こる難問や試練の中、時間ばかりが過ぎて行った。
この大震災で被災された方々にとっては本当に困難な時間であったと思う。これからも短期間で乗り越えられる問題ではないが、心からお見舞いを申し上げ、頑張ってこの状況を乗り越えて再生されることを祈らずにはいられない。

2011年は、岡山県湯原温泉でのZ1300クラブのオーナーズミーティングや、但馬空港での第1回JB-POWER MEETING、そして豊岡市工業会の創設…。あっという間に半分が過ぎもうすぐ7月。

そして鈴鹿8時間耐久レースへと続く…。

毎年の6、7月は8耐用のホイールやクイックチェンジパーツなどの製作で慌ただしい。
KAWASAKI [ZX10R]、Aprilia [RSV4]、BMW [S1000RR]、 SUZUKI [GSX R1000]、HONDA[CBR1000RR]、YAMAHA[YZF1000 R1]など、多品種・小ロットの部品製作の注文に追われる毎日で、デッドラインが刻一刻と迫っている。
なんと言うスピードなのだろう。

いったいどうしてこんなに時の経つのが早くなってしまったのだろうか。

弊社の庭に今年も笹百合が咲いた。
毎年、ピンクの可憐な花と何とも言えぬ優美な香りに魅せられて少しずつ増やしているのだが、その香りを裏山から出没する鹿に奪われる。そこで今年は、防御網を山に張った。
おかげで、可憐な花たちが咲き誇り忙しい日々の疲れを癒してくれる。

昨日から、白や紫色の蛍袋が咲き出した。山法師に山紅葉、そよごに三葉つつじと鮮やかな新緑と花々に包まれて、この季節はたいそう美しい。

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長年の課題の一つであった、KZ1300-6気筒のマグタンが完成した。自分でも驚くくらいハンドリングが良くなり、更に欲が出た。

まず、前後のアクスルシャフトを製作した。最高級クロームモリブデン鋼にて中空総削り出しで作り、表面処理は無電界ニッケルで仕上げた。
次に、鉄製でとても重かったフロントフォークブリッジ(ボトム)を高張力アルミの削り出しで製作。もちろんステムシャフトは前出のアクスルシャフトと同じく中空クロモリ製だ。

さらに、エンジンの再チューニングを施した。エンジンはオーバーホールして、トランスミッションやクランクシャフト、カムシャフトやピストン、ライナーピストンリングやピン、バルブやリフターなど、フリクションの発生しそうな所は全て手を施してみた。
これにより2,000回転ぐらいで起こるもたつきも無くなり、気になっていた全回転域でのフリクションが低下して驚くほどスムーズに回るようになった。もちろん、パワーアップははなはだしくて、まるでターボのごとき鋭い加速をするようになった。
俄然、KZ1300が魅力を増して、大した名車になった。

今更ながら熟成とはすごい事だと感心するやら納得するやらで、またまたバイクライフが楽しくなってきた。
今から秋のツーリングが待ちきれない。
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Z1300のコンプリートバイクがついに完成!

1978年のドイツ・ケルンショーで華々しくデビューしたカワサキのZ1300。
そのスペックは直列6気筒の水冷DOHC2バルブの1286ccで、国産メーカーの車両としては当時最大の排気量を誇っていた。
6気筒モデルとしてはホンダのCBX1000の後発ではあるものの、カワサキがZ1300をフラッグシップモデルとして位置付けていたことは、世界中のメディアを地中海のマルタ島やアメリカのデスバレーに招待して開かれた発表試乗会からも窺える。
非常に完成度の高いバイクではあるものの、重量が296㎏と重く、世界のマーケットニーズとは少し合わなくなった1989年で姿を消すこととなった。
巨大戦艦のような車体をしなやかに乗りこなすにはそれなりの体力とテクニックが必要となるが、その異端のモンスターの乗り味は奥が深い。回転バランスの良いスムーズな6気筒のエンジンやそのエキゾーストノートに胸が高鳴るというファンも少なからず存在し、発売以来30数年を経た今日もそのユニークな個性は色あせる事無く、多くのファンを魅了し続けている。

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私がこのバイクと最初に出会ったのは、1987年頃だった。外品マフラーを装着したお客様が、爆音を響かせながらはるばる東京から弊社を訪ねて来られた。「パワーが出ないこのマフラーを何とかして欲しい」ということで早速試乗してみると、確かにマフラーの音ばかり大きくて、レスポンスも悪くひどいものだった。
でも少し改良してみれば良いバイクになることを確信し、少し時間を頂いて早速チタンマフラーを製作した。

世界中にコアなファンがいるけれども、当時は世界のどこを探してもまともな部品が出回っていないのが現状だった。
弊社もデモ車製作のためアメリカからZ1300の逆輸入車を数台取り寄せたし、車両も何台か販売した。
そんな中、マフラーやステップ、キャブレターやピストンキットなどいろんな部品を製作して欲しいと、駆け込み寺のように弊社を訪ねてくる人が後を絶たなかった。
色々な課題をお客様から頂き、少しずつ改良を加えていく中で、私自身もこの巨大戦艦のようなバイクの魅力にどんどんのめり込んで行った。
目は爛々と輝き、全身にアドレナリンがほとばしる。生きている実感と夢心地が交錯する。大きなバイクの大きな走りと、まるで楽器か、はたまた野獣の雄たけびかとでも表現すれば良いのか、言葉を失うほど魅力的で美しいエキゾーストサウンドを聴きながらこのモンスターを思い通りに操る醍醐味は正に至福の時間である。

素材が良いから改良していけばどんどん良くなってくる。その最終到達点となるのが、ファンの要望にもあったMAGTANホイールの製作だった。

しかし、この開発だけは一筋縄ではいかなかった。シャフトドライブは特殊な構造であり、チェーンドライブのように簡単にホイールの換装が出来ない。
また、鍛造型から製作しないといけないという壁があり、コストの問題からしてこれまで着手には至らなかった。開発しても数が出ないのは最初から分かっているから、採算のことを考えたら赤字になるので誰もチャレンジしないはずだ。
ホイールの開発には正直なところためらいもあった。しかし、誰もやらない事にでもチャレンジしようという精神こそが真のエンスージアストであり、JBの真骨頂であると自分に言い聞かせながら、昨年冬から本格的な製作に取り掛かった。

Z1300用のマグネシウム鍛造ホイールは既に市販化されてはいる。ドイツの某メーカーが販売していたのは、シャフトドライブなのにホイールのセンターが出ていない。チェーンドライブであればホイールが多少ズレても、左右のチェーン引き調整でホイールを振ればさほど大きな問題にはならない。
しかし、シャフトドライブの場合には、ギアがカップリングでドライブシャフトのセンタ-がズレると平衡が保てないのだ。
ただタイヤが付けば良いという考えのもと製作されたと思われるホイールだから、スピードを出した時には車体が左右に大きくぶれて危険であるし、もちろん左右のコーナーでの曲がり方は大きく異なるし、フロントタイヤは左斜め後方から受ける駆動力を修正しながら走るのですぐに変磨耗してしまう。ただリムが太くなっただけでホイールの重量も重たいし何とも具合が悪い。

この特殊なバイクに寸法的にも正しいホイールで、狙い通りの最新ラジアルタイヤ(4.00-18/150-70-18)を装着出来るかというのは実際に付けてみるまで分からない。タイヤがピッタリと装着出来、前後とも最適なタイヤプロフィールが得られるリム幅(リアの4インチに対してフロントは3.125インチ)を試行錯誤の末、算出し、1年掛かりで完成したのがこのホイールである。
STDホイールと比較すると、ホイール剛性や耐久性を維持しつつ、フロントが3.2㎏、リアが2.6㎏で合計5.8㎏の軽量化にも成功した。重いZ1300がまるでZ1のように俊敏に、しかも安定して自在に走った瞬間は「やったー」と思わず叫んでしまうほどイメージ通りの走行性が実現出来、大いに感動した。

春の雪解けを待って、このZ1300のコンプリートバイク試乗会も開催予定だ。幻の名車をぜひ一度走らせてみたいという人に、6気筒の魅惑のサウンドやハンドリングを体感していただきたい。併せて、コンプリートバイクの製作も着々と進行中。5台限定の予約販売を行いますので、お問い合わせは弊社まで。

新しい年に思う。

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年末から降り出した雪が根雪になって毎日降ったり止んだりだが、閉ざされた白銀の世界の中で毎日、雪かきと仕事に追われる日々が続く。
正月早々アメリカのマイケル・ジョーダンチームから今期、AMAスーパーバイク用ホイールの注文が来た。
昨年初めより開発を進めて来たKZ1300-6のホイールも注文が入った。
長年取り組んで来たZ1用クランクシャフトのオーバーホール、メイン及びロッド新品ベアリング交換、コンロッドの重量合わせと磨き加工も加えて次々に進めている。
春、3月までに出来るだけの仕事をして春からの繁忙期に備える。そんな生活をずいぶん永く続けてきた。と言っても、春のレースシーズン開幕まで、ホイール部門は大変忙しいのだが…。

ニュースでは、昨年海外に工場進出した日本企業の多さが話題になっていた。この円高の中、急成長を続けるアジアへの進出が際立つ。しかし、この国が日本国内で生産を止めてしまったら、果たして日本人は何をして食べて行くのだろうか。

私達が生まれたこの美しい国日本で、毎日自信を持って一生懸命働き、自由や平和、そして快適な生活や文化を次代に残さなければならないし、世界の国々の手本になるような国になるべきだと思う。そして、私達日本人が、世界の東の端の小さな島国で培ってきた「大きな和の哲学と文化」を必要としている人々が多くいる事を自覚するべきだ。

13歳中学生の時にバイクに出会った。ホンダのスーパーカブだった。
以来四十数年、ずっとバイクと共に生きて来た。そしてこれから先の人生も。

アメリカ留学中の息子から、久しぶりに電話があった。彼の大学でも多くのアジアからの留学生が来ているそうだ。日本人はあまりいないそうだが、韓国、中国、インド、タイなど、アジアの若者達は希望に燃えて学んでいる。
意気盛んな青春時代を海外で過ごし、世界の多くの人達と触れ合う事で、少しでも広い視野や見識を持ち、感性を磨いてくれればと思う。

月末には兵庫県立大学の出前授業がある。弊社も10人ほど参加を予定している。
私達は現状に立ち止まる事は出来ない。昨日よりも今日、今日よりも明日と研究・開発を続け、更なる成長を目指す。一生勉強は続くと思うし、それが大きな喜びでもあり成長の糧となる。
BITO R&Dのチャレンジはまだまだ続きます。
本年も皆様にとって実り多き良い年になりますように祈念します。

ミラノショー見聞録

11月2日、先月開かれたドイツ・ケルンショーの後のミラノショーという事で、一体どんなショーになるのか、あまりイメージが湧かないまま、関空発11時15分のLH741便に乗った。飛行機はエアバス社A340-600とANAとの共同運航便で、座席はびっしり満席状態。世間の不景気などどこ吹く風というほど観光客でいっぱいだった。

フランクフルトで飛行機を乗り継いで、ミラノ・マルペンサ空港に着いたのは2日の夕方17時45分だった。ちなみに日本と現地の時差は8時間。そのままタクシーでホテルに向かった。
以前訪れた時、ミラノショーの会場は街の中心部にあった。いつもひどい渋滞に巻き込まれ、会場への往復に大そう時間がかかった事を思い出した。

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郊外に移された今の会場は、入場ゲートのすぐ隣にホテルが有り、歩いて行けるのは大変ありがたい。ここにも、より多くのショーを誘致するための「改善」がなされており、世界の変化が見られた。

その日の夜はイタリアの旧友と久しぶりの再会を果たした。イタリアワインとサラミ、プロシュートにマスカルポーネケーキにエクスプレッソコーヒーなど、旨い料理と美酒に酔いしれ、尽きぬ昔話に夜が更けるのも忘れてしまうほどだった。

さて、今回のミラノショーは10年前の頃とは本当に様代わりした様相だった。ドイツのBMWを筆頭に、イタリアのドゥカティ、アプリリア、MVアグスタ、イギリスのトライアンフなどヨーロッパ各社が多くの新機種を揃えていた。俄然勢いがあり、さながらヨーロッパ勢の反撃が始まったという感じだ。「彼らは本気だ」。

もちろん日本車勢も負けてはいない。特にカワサキの黒と緑のブースは異彩を放ち、ギャラリーを魅了していた。中でも、3年ぶりにフルモデルチェンジした新ZX-10Rは、市販車に加えJBマグタン4を装着したワールドスーパーバイク(SBK)仕様のワークスレーサーも一緒に展示され、黒山の人だかりが出来ていた。また、W800やEN-6、Z1000SXなども予想以上に大人気で、ヨーロッパ市場でもパワー競争のみでは無く、実用性を求めるファンのニーズを確認できた。代わる代わる展示車のW800にまたがって、ポジションや感触を確かめる人たちを見て、自分が考えていた事が正しかったと、あらためて実感した。

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詰め掛けた大勢のバイクファンや、関係者を見て気付いた。今でも多くの人たちがこんなにもバイクを愛している。そんな姿を目の当たりにして、ちょっと不景気かも知れないけどバイク離れなんて全く無く、人々の興味は尽きないと確信した。
そして、少し自信をなくしかけた日本のメーカーも更なるチャレンジを続けて欲しいと思った。

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11月5日、ホテルで朝食を済ませ、急いでミラノ・セントラルステーションに向かう。午前9時過ぎ、やっぱり市内の交通渋滞は変わらない。しかし、何度来てもこの大理石造りの巨大なミラノ駅の建物を見ると、その大きさと美しさと荘厳さに圧倒される。歴史の重みと、哲学の違いといってしまえばそうなのかもしれないが、それにしても素晴らしい。

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10時15分発のFreccia Rossa(赤い矢と言う意味のイタリア版新幹線のような快速特急)ナポリ行きに乗り、1時間程でボローニア中央駅に着いた。
ここへは、BMCエアーフィルター社を訪問するためにやって来た。
BMCは、今年ワールドスーパーバイクで優勝したアプリリアレーシングチームをはじめ、BMWモトラッドWSB、ヤマハWSB、アルスタースズキWSBチームなど、多くのワークスレーシングチームに使われるエアーフィルターを供給するメーカーだ。
元々は、フェラーリF-1用のエアーフィルターの開発供給からスタートしたのだが、その後、マクラーレンメルセデスF-1やトヨタF-1、またドイツDTMのアウデイ、BMW、メルセデスベンツ、ルマン24時間耐久レース用ポルシェ、アウデイなどのレーシングフィルターで業績を伸ばし、今ではトップブランドになったメーカーだ。

7年ぶりに訪れたBMC社は、真新しい生産ラインに加え新設のオフィスビルと、カーボンコンポジット工場が増設されていた。整然とオーガナイズされた工場にモチベーションの高い社員が黙々と働く姿を見て、イタリアもこんなに変わるのかと、認識を新たにした。
実は、社長のベルガミ氏とは私が20代の頃アメリカで出会って以来、30年来の旧知の親友である。一時は一緒に会社を興す計画もしたが、その後お互いに独自の道を歩んで来た。
この不景気の中、今期は創業以来の最高益であったとの話を聞いて、この旧友の成功が我が事のように嬉しく、夜遅くまでサンジョベーゼ(ワイン)と募る話に華が咲いた。

この後ドイツ、ミュンヘンにもう一組の旧友を訪ねる事になるのだが、その話はまたの機会にするとしよう。

帰路の飛行機の窓から見る銀色の翼とその下で轟音を上げる灼熱のジェットエンジンを見ていると、数日前にエンジンカバーが吹き飛んだカンタス航空の事故機、エアバスA380総2階建てスーパージャンボのニュースの事が脳裏に浮かんだ。

大丈夫だ。9時間後にはまた日本だ。心の中でつぶやいた。

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